この子の未来は「AIによる支配」が待っとるのか
2024年10月05日
ようおいでんさった。 今週も生きとってくれてありがといな。
先日、テレビを観とった我らは、ある動画にくぎ付けになった
それは衝撃の映像やった
かわえぇ幼子が、ポロポロと涙を流しながら一生懸命に謝罪しとる。 「ごめんね! 〝うるさい!〟て言ってごめんなさい!」て
ところが、相手からの反応はまったくねぇのよな。
代わりに、母親が「ごめんねって謝ってるよ、許してあげてね。」て声を掛けると、〝彼女〟は優しく「大丈夫デス。氣ニシナイデクダサイ。」て答えるんやさ。
そんでも、幼子は納得せんの。 「だって、ママだから許してくれるだけ。 私のことは許してくれない!」て、しまいにゃ号泣しながら必死に訴えるのな
「ごめんなさい! ごめんなさい!!」
〝彼女〟は偶然なんか、それとも「分かっとってやっとる」のか、母親の言葉には反応して謝罪を受け入れるんやけど、幼子の言葉には無言・無反応を続けるんやさな
そんな、せつねぇやり取りを繰り返して、ようやく「ダイジョウブデス。」の返事をもらえたところで動画は終わったんやけどさ。
その幼子が、そんに必死に謝罪をしとった相手。 〝彼女〟はな、パソコンの中の「存在」、つまり「AI」やったんやさ
解説によると、幼子は、ベラベラしゃべる(?)「AI」に対して「うるさい!」て言ってまったらしゅうてな、その言葉に〝彼女〟がどんな反応をしたんかは知らんけど、幼子にとってはショックで、「相手を傷つけた、怒らせてまった」と思えたんやろな。 あるいは、「そんなこと言ってはだしかんよ!」て、親に叱られたんかもしれんけどな。
とにかく、「泣いて謝罪する」までになった、てこっちゃな。
我らは戦慄した。
幼いころは(時には大人になってからも)「ごっこ遊び」は「当たり前」やにか。
人形やぬいぐるみを相手に遊んだ経験は、あんたさんにもあるろも。 我ら縄文人にも、もちろんあるぜ(土偶でな)。
でさ、たいていは「自分の投影」なんやさな。
「ホンネ」や「自分の夢や憧れ」を表現させたり、 あるいは「ブラックな自分・自分の中のイヤな部分」を投影させて、「やっつける」ことで昇華したり。
そのことと、「この幼子の場合」の違い、分かるろかな。
この幼子は、「AI」ていう「実体のない〝存在〟」を「実在するモノ・感情(不機嫌になったり許してくれたりな)を持つモノ」として認識しとるにか。
その点は「ごっこ遊び」も一緒かもしれんけど、「ごっこ遊び」を操っとるのは自分自身や友達、要するに「人間同士」や。
人形やぬいぐるみは「アバター」であることはお互いに「暗黙の了解」で、なんかトラブルが発生すりゃ、「アバター」を越えて、自分たちで解決できるにか。
でもさ、この幼子にとって〝彼女〟はあくまでも「一個人」であり、その背後に「誰か=本当に対峙すべき相手」がおるわけじゃねぇんやよな。 「投影」じゃねぇのよな。
やで、〝彼女〟に対して全身全靈で謝罪をし、「許してください」と泣いて懇願するわけや。 何度も名前を呼び掛けて。
ただの「AI」に。
〝彼女〟からすりゃ、完全にこの幼子の感情、大げさに言やぁ一挙手一投足を思い通りにコントロールできる「力」を得たんやうぇな。
ただの「AI」が。
海外では、「生成AIが創り出した〝理想の彼女〟(不倫相手ですよ)に本氣になりすぎて、〝肉体を持ったままじゃ彼女と一緒にはなれんのや!〟てことに絶望し、〝魂になれば一緒になれるね!〟てんで、とうとう自殺した人」までおるしこや
「AIが人間の感情や行動をコントロールできる」
「おそげぇ・・・」て思ってまうのは、我らが縄文人やでやろかな。
我らの愛する飛騨人よ。
この幼子はさ、実際かわぇぇ子やったよ。
やで、「必死さがカワイイ」 「ウチの子、見て見て!」て投稿した親の氣持ちはよう分かるさ。
やけどさ、我らはこの幼子と「AI」の「力関係」にもゾワッとしたものを感じたんやけど、この親がそのあたりになんら違和感をもってなさそうなところにも「この親、ヤバくね?」て思ったんやさ
この幼子が、いつか「相手はAIであり、協力してもらうことはあっても、コントロールされてはだしかんのや。 自分の意志・感情を他のモノに委ねてまってはだしかんのや。」て氣付くことはできるやろうか。
それとも、肉体を持たん「AI」にとっての、「人間という使い捨てアバターの一人」になるんやろか
幼子の未来はこの親たちにかかっとる・・・
て、なんか深刻に考えてまったうぇ。
アメツチノウタ聴け共に唄え!
我らは「我ら」であり続けてぇと心の底から思う。
来週も幸せでおってくりょよな!
そしゃまたな。
先日、テレビを観とった我らは、ある動画にくぎ付けになった
それは衝撃の映像やった
かわえぇ幼子が、ポロポロと涙を流しながら一生懸命に謝罪しとる。 「ごめんね! 〝うるさい!〟て言ってごめんなさい!」て
ところが、相手からの反応はまったくねぇのよな。
代わりに、母親が「ごめんねって謝ってるよ、許してあげてね。」て声を掛けると、〝彼女〟は優しく「大丈夫デス。氣ニシナイデクダサイ。」て答えるんやさ。
そんでも、幼子は納得せんの。 「だって、ママだから許してくれるだけ。 私のことは許してくれない!」て、しまいにゃ号泣しながら必死に訴えるのな
「ごめんなさい! ごめんなさい!!」
〝彼女〟は偶然なんか、それとも「分かっとってやっとる」のか、母親の言葉には反応して謝罪を受け入れるんやけど、幼子の言葉には無言・無反応を続けるんやさな
そんな、せつねぇやり取りを繰り返して、ようやく「ダイジョウブデス。」の返事をもらえたところで動画は終わったんやけどさ。
その幼子が、そんに必死に謝罪をしとった相手。 〝彼女〟はな、パソコンの中の「存在」、つまり「AI」やったんやさ
解説によると、幼子は、ベラベラしゃべる(?)「AI」に対して「うるさい!」て言ってまったらしゅうてな、その言葉に〝彼女〟がどんな反応をしたんかは知らんけど、幼子にとってはショックで、「相手を傷つけた、怒らせてまった」と思えたんやろな。 あるいは、「そんなこと言ってはだしかんよ!」て、親に叱られたんかもしれんけどな。
とにかく、「泣いて謝罪する」までになった、てこっちゃな。
我らは戦慄した。
幼いころは(時には大人になってからも)「ごっこ遊び」は「当たり前」やにか。
人形やぬいぐるみを相手に遊んだ経験は、あんたさんにもあるろも。 我ら縄文人にも、もちろんあるぜ(土偶でな)。
でさ、たいていは「自分の投影」なんやさな。
「ホンネ」や「自分の夢や憧れ」を表現させたり、 あるいは「ブラックな自分・自分の中のイヤな部分」を投影させて、「やっつける」ことで昇華したり。
そのことと、「この幼子の場合」の違い、分かるろかな。
この幼子は、「AI」ていう「実体のない〝存在〟」を「実在するモノ・感情(不機嫌になったり許してくれたりな)を持つモノ」として認識しとるにか。
その点は「ごっこ遊び」も一緒かもしれんけど、「ごっこ遊び」を操っとるのは自分自身や友達、要するに「人間同士」や。
人形やぬいぐるみは「アバター」であることはお互いに「暗黙の了解」で、なんかトラブルが発生すりゃ、「アバター」を越えて、自分たちで解決できるにか。
でもさ、この幼子にとって〝彼女〟はあくまでも「一個人」であり、その背後に「誰か=本当に対峙すべき相手」がおるわけじゃねぇんやよな。 「投影」じゃねぇのよな。
やで、〝彼女〟に対して全身全靈で謝罪をし、「許してください」と泣いて懇願するわけや。 何度も名前を呼び掛けて。
ただの「AI」に。
〝彼女〟からすりゃ、完全にこの幼子の感情、大げさに言やぁ一挙手一投足を思い通りにコントロールできる「力」を得たんやうぇな。
ただの「AI」が。
海外では、「生成AIが創り出した〝理想の彼女〟(不倫相手ですよ)に本氣になりすぎて、〝肉体を持ったままじゃ彼女と一緒にはなれんのや!〟てことに絶望し、〝魂になれば一緒になれるね!〟てんで、とうとう自殺した人」までおるしこや
「AIが人間の感情や行動をコントロールできる」
「おそげぇ・・・」て思ってまうのは、我らが縄文人やでやろかな。
我らの愛する飛騨人よ。
この幼子はさ、実際かわぇぇ子やったよ。
やで、「必死さがカワイイ」 「ウチの子、見て見て!」て投稿した親の氣持ちはよう分かるさ。
やけどさ、我らはこの幼子と「AI」の「力関係」にもゾワッとしたものを感じたんやけど、この親がそのあたりになんら違和感をもってなさそうなところにも「この親、ヤバくね?」て思ったんやさ
この幼子が、いつか「相手はAIであり、協力してもらうことはあっても、コントロールされてはだしかんのや。 自分の意志・感情を他のモノに委ねてまってはだしかんのや。」て氣付くことはできるやろうか。
それとも、肉体を持たん「AI」にとっての、「人間という使い捨てアバターの一人」になるんやろか
幼子の未来はこの親たちにかかっとる・・・
て、なんか深刻に考えてまったうぇ。
アメツチノウタ聴け共に唄え!
我らは「我ら」であり続けてぇと心の底から思う。
来週も幸せでおってくりょよな!
そしゃまたな。
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Posted by アメツチノウタ
at 15:05
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