秋分過ぎたら「昇る」準備を始めんとな
2024年09月21日
ようおいでんさった。 今週も生きとってくれてありがといな。
明日は「秋分」。 「え?うそや。 夏至じゃね?」て思うような気温やけど、もちろん間違いなく「秋分」やよな。
毎度おなじみ、我らにとって特別な日である「二至二分」の一つやさ。
吾愛しい妻とかわえぇ幼子は連れ立って、明日の「お供え物」を調達に行っとるんや
吾はこの後「精進潔斎タイム」に入って、明日の「飛騨の縄文人たち大集合! 秋分のお祀り」にそなえならんのよ。
夕飯と明日の朝飯を断食せならんのやけど、飛騨の秋の味覚が出始めとるやつに、食事を抜かならん辛さよな
その代わり、お日様が「ざっくり南中」を迎えたら、みんなで大宴会が始まるんやけどさ(イスラム教のラマダン明けみてぇや、とSは言う)。
たださ、今までギラギラやった天気が、このタイミングで悪ぅなりそうやなんてどいんよな
ま、我ら縄文人は「雲の向こうに輝くお日様」を心眼で捉えることができるでな。 「雨天決行」やさ。
さて、「秋分」が終わると、我ら縄文人は「断捨離期間」に入るんや。
「へ? 冬に向けてむしろ蓄えならんのでねぇけ?」て思うかもしれんな。 もちろん、越冬のための「食糧備蓄期間」でもあるんやけど、同時に「捨てる・手離す・落とす・止めるなどなど・・・な期間」でもあるんやさ。
特に「自分の中に溜め込んだもの」 「目には見えんけど邪魔になったモノ」をな。
昇華・消化されとらん憎しみや怒り。
いつまでも足枷になっとる後悔の念や、過去・人やモノへの執着。
自己憐憫に自己嫌悪。 本当はイラナイ責任感。 価値観の違いやハラスメント。
「いつのことだか」は思い出さんでもいいけど、あんなこと、そんなことあったやろ? 今でも後生大事にココロにたばっとるやろ?
・・・重い・・・あ~、でぇれ重いわ。 重ぅてどもならんうぇ
そんなネガティブな思いは、重いムダな脂肪と同じやさ。 ドロドロの血液と同じやうぇ。
心身にまったくよろしくない。
さぁ、そんなもん、捨てろ! 手離せ! 引っ剥がせ!
湧き上がる片っ端から、現れるそばから、ココロの手でしっかり捕まえて宇宙の果てへ投げ飛ばせ!
今まで吾を護り、時に奮い立たせてくれた想いやけど、もう十分に体験したでもういいわ。
もう二度と戻って来るないな!
あばえな!!!
そうやってできるだけココロを空っぽに、軽くしたところで迎えるのが、「一陽来復」の「冬至」いな。
お日様がパワーを取り戻すのに合わせて、我らの「中心」にも新しいエネルギーを取り込んで輝かせ、ともに「新しい世界」へ「昇って」いくのよ
ところでさ、「来年の話をすると鬼が笑う」て言うけどいな、「冬至」が過ぎりゃ、あんたさん達にとっての「新年」が来るにか。
でさ、来年「2025年」て、いろんなとこで〝いろんな予言〟がされとるしこやに
・・・今のうちから念を入れて「ココロとモノの断捨離」して、軽くしといた方がいいかもな・・・
信じるか信じんかはあんたさんしだいやけどな。
我らの愛する飛騨人よ。
前にさ、「カミサマが〝地球がギアを上げよる〟て言っとる」て話したろ。
あんたさん達の中にも、いろんなカタチでそれを感じとる人がおいでるみてぇやな。
体調の変化やメンタルの嵐。 時間の感覚の変化(たんに、日が暮れるのが早うなったなぁ・・・て話じゃのうて)。
「あぁ、やでかぁ」とは思わんろけど。
〝乗り物〟のギアが上がるやつに、〝それに乗っとる人〟がその影響を受けんはずがねぇうぇな。
やでな、我らは「我ら自身を軽くラク~にしておこう」と思っとるの。 いや、体重じゃのうて。
何があっても、何がのうても、フワ~ッとスイスイと超えて行けるように
ココロを軽く、放つエネルギーも軽くかる~く、な
アメツチノウタ聴け共に唄え!
これからは飛騨のあちこちで「秋の催し物」が目白押しやな! 楽しみやうぇ。
来週も幸せでおってくりょよな!
そしゃまたな。
明日は「秋分」。 「え?うそや。 夏至じゃね?」て思うような気温やけど、もちろん間違いなく「秋分」やよな。
毎度おなじみ、我らにとって特別な日である「二至二分」の一つやさ。
吾愛しい妻とかわえぇ幼子は連れ立って、明日の「お供え物」を調達に行っとるんや
吾はこの後「精進潔斎タイム」に入って、明日の「飛騨の縄文人たち大集合! 秋分のお祀り」にそなえならんのよ。
夕飯と明日の朝飯を断食せならんのやけど、飛騨の秋の味覚が出始めとるやつに、食事を抜かならん辛さよな
その代わり、お日様が「ざっくり南中」を迎えたら、みんなで大宴会が始まるんやけどさ(イスラム教のラマダン明けみてぇや、とSは言う)。
たださ、今までギラギラやった天気が、このタイミングで悪ぅなりそうやなんてどいんよな
ま、我ら縄文人は「雲の向こうに輝くお日様」を心眼で捉えることができるでな。 「雨天決行」やさ。
さて、「秋分」が終わると、我ら縄文人は「断捨離期間」に入るんや。
「へ? 冬に向けてむしろ蓄えならんのでねぇけ?」て思うかもしれんな。 もちろん、越冬のための「食糧備蓄期間」でもあるんやけど、同時に「捨てる・手離す・落とす・止めるなどなど・・・な期間」でもあるんやさ。
特に「自分の中に溜め込んだもの」 「目には見えんけど邪魔になったモノ」をな。
昇華・消化されとらん憎しみや怒り。
いつまでも足枷になっとる後悔の念や、過去・人やモノへの執着。
自己憐憫に自己嫌悪。 本当はイラナイ責任感。 価値観の違いやハラスメント。
「いつのことだか」は思い出さんでもいいけど、あんなこと、そんなことあったやろ? 今でも後生大事にココロにたばっとるやろ?
・・・重い・・・あ~、でぇれ重いわ。 重ぅてどもならんうぇ
そんなネガティブな思いは、重いムダな脂肪と同じやさ。 ドロドロの血液と同じやうぇ。
心身にまったくよろしくない。
さぁ、そんなもん、捨てろ! 手離せ! 引っ剥がせ!
湧き上がる片っ端から、現れるそばから、ココロの手でしっかり捕まえて宇宙の果てへ投げ飛ばせ!
今まで吾を護り、時に奮い立たせてくれた想いやけど、もう十分に体験したでもういいわ。
もう二度と戻って来るないな!
あばえな!!!
そうやってできるだけココロを空っぽに、軽くしたところで迎えるのが、「一陽来復」の「冬至」いな。
お日様がパワーを取り戻すのに合わせて、我らの「中心」にも新しいエネルギーを取り込んで輝かせ、ともに「新しい世界」へ「昇って」いくのよ
ところでさ、「来年の話をすると鬼が笑う」て言うけどいな、「冬至」が過ぎりゃ、あんたさん達にとっての「新年」が来るにか。
でさ、来年「2025年」て、いろんなとこで〝いろんな予言〟がされとるしこやに
・・・今のうちから念を入れて「ココロとモノの断捨離」して、軽くしといた方がいいかもな・・・
信じるか信じんかはあんたさんしだいやけどな。
我らの愛する飛騨人よ。
前にさ、「カミサマが〝地球がギアを上げよる〟て言っとる」て話したろ。
あんたさん達の中にも、いろんなカタチでそれを感じとる人がおいでるみてぇやな。
体調の変化やメンタルの嵐。 時間の感覚の変化(たんに、日が暮れるのが早うなったなぁ・・・て話じゃのうて)。
「あぁ、やでかぁ」とは思わんろけど。
〝乗り物〟のギアが上がるやつに、〝それに乗っとる人〟がその影響を受けんはずがねぇうぇな。
やでな、我らは「我ら自身を軽くラク~にしておこう」と思っとるの。 いや、体重じゃのうて。
何があっても、何がのうても、フワ~ッとスイスイと超えて行けるように
ココロを軽く、放つエネルギーも軽くかる~く、な
アメツチノウタ聴け共に唄え!
これからは飛騨のあちこちで「秋の催し物」が目白押しやな! 楽しみやうぇ。
来週も幸せでおってくりょよな!
そしゃまたな。
スポンサーリンク
Posted by アメツチノウタ
at 14:39
│Comments(0)